【プロレス】ジャイアントを支えた奥様もジャイアント!色々あったけどね。

先日、故ジャイアント馬場の奥様、馬場元子さんがお亡くなりになりました。 世界のジャイアント馬場を支えることはとても大変だったと思います。 結婚を公表したのがとても遅く、表には出さなかったけれどもどれだけ苦労をされたのかなあと思います。 出会いが、馬場さんがまだ巨人のピッチャーの時と言うことなのですごいですよね。 と言うことはお付き合いしている時には海外武者修行の時もあったわけです。 さらには日本プロレス離脱、全日本プロレス設立。 馬場さんが亡くなった後には、三沢光晴らの選手離脱など。 波乱万丈ですよね。 まあ、元子さん自体にも選手間との確執が起こるような行動、言動があったということもあるようです。 その後は全日本プロレス株を無償で武藤敬司に譲り退きましたね。 ジャイアントサービスの社長ではあり続けたんかな? 世界で本当に認められている日本人レスラーは3人しかいないそうです。 まずはジャイアント馬場。 武者修行時代にはNWAチャンピオンになるが、5連線中に客の乱入騒ぎや、選手間の乱闘があり、正式に記録されないことに。 いろんなテリトリーでヒールとしてブレーク。 ビンス・マクマホンにババ・ザ・ジャイアントと名付けられて、それが元で日本でのリングネームが「ジャイアント馬場」に。 NWA、WWA、WWWFのチャンピオンに連続チャレンジ。 これは選手として認められている証拠ですよね。 1960年ごろに当時のレートで1億円でアメリカに残るようにスカウトされたりとかね。 そういういろんなことがあった時に元子さんに支えられていたんでしょうね。 あとは キラーカーン もちろん、アンドレ・ザ・ジャイアントの足を折ったと言うことからのWWFでのメインでの抗争。 武藤敬司(グレート・ムタ) NWAのテリトリーも回っているが、WCWからのオファー。 スティングとの抗争も有名ですね。 ファイトスタイルやパフォーマンス、ペイントなどはアメリカのレスラーに多大なる影響を与えましたね。 大きい何かをする人の後ろにはそれを受け止めることができるだけのパートナーが必ずいると言うことですね。

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